『嵐が丘』

気付いたことを断片的に。


・ 語り手が女中、というのはやはりナイス・アイデアですね。<家族>を囲い込む境界線のウチとソトの両方に足を突っ込んでいるという両義的な存在であることが、あの魅力的な語りを可能にした、というのは間違いありますまい。



・ <幽霊>の存在を匂わすことでヒエロークリフの死が説明される結末は、いかにもゴシック小説的な風味です。しかし、それが読んでいてさほど不自然ではないのは、ヒエロークリフの死が、<世代交代>の結果として表象されている、というのが大きいからではないでしょうか。別の言い方をすれば、テクストの無意識のレヴェルで、ヒエロークリフの死という事態が、ファミリー・ロマンスの必然として構造化されている。そういう風に考えられるわけです。こういうかっちりした作りの小説というのは、安定感があって、きわめて読みやすいですね。



・以前、『文学』という雑誌の中で、「教えやすい」小説という概念がアメリカの大学の中にあるのを知ってとても新鮮に感じた、ということを沼野充義が言っていたのですが、この小説は「teachable」という概念には、ぴったりな小説だな、とも思いました。