『嵐が丘』を読むまで

・ 水村美苗の『本格小説』を読み終えたとき、これは、ここ十年ほどの日本文学の最高峰に位置する傑作だと、確信したのでした。そのときの僕の精神状態がとても不安定だったということが幾分かは影響していたと思うのですが、『本格小説』は文字通り寝食を忘れて、ぶっ通しで上下巻を読み続けたんですよ。何て言うんでしょうかねぇ、昼と夜の境目もなく読書に明け暮れたとでも言えば良いんでしょうか、朝の十時だろうが午後の三時だろうが、本を読んでいて眠くなったら倒れるようにして眠って、しばらくして、むくむくとベッドから起き上がると、再び本を手に取ってページをめくり始める・・・・・・そんなことをしていたのは、あれは二年前の年末ことでした。



・ ご存知のこととは思いますが、『本格小説』は、『嵐が丘』を元ネタとして書かれた作品なわけで、それだけ魂を震わせてしまった小説のことなのですから、「これは絶対、『嵐が丘』も読まなきゃいかん、っちゅうことですな・・・・・・」とずっと心に留めてはいたのです。しかし、新潮文庫の『嵐が丘』は、本屋さんで見掛けても、その字体の小ささからどうにも読む気になれずにいたのでした。すると、この春に岩波文庫から新訳の上下二巻が出たので、これはいい機会ということで発売早々に購い、夏休みに入ってようやく取り掛かった次第なのです。



・ 今思いついたこと。この読書パターンは、例えばこういうこととアナロジーの関係にあります。



金井美恵子『恋愛太平記』 → 谷崎潤一郎細雪
島田雅彦『彼岸先生』   → 夏目漱石『こころ』



・ 他にもあるんでしょうが、有名なところで思いついたのは、いまのところこの程度です。二番目の島田→漱石の邪道な感じは凄いですね。こういう経路で『こころ』を初めて読んだ、という日本人はいったい何人くらいいるんでしょうか? 


・ 金井→谷崎は、邪道感は薄いは薄いのですが、でも僕は、「金井美恵子に感動して谷崎を読んだ」という人より、「『彼岸先生』を読んでとても面白かったから、『こころ』を初めて読んだ。なんて『こころ』は良い小説なんだろう!」という人と、ぜひお友達になってみたいです。