山下達郎先生はどう読むのか?

■ジム・フシーリ、村上春樹訳『ペット・サウンズ』(新潮社)


■ウィルソン一家の暗部やブライアンの狂気などといったテーマと『ペット・サウンズ』とを絡めて論じた本かな、と思ったら違っていました(その辺のダークな話はちょこっと出てくるけど)。


■録音時のエピソードやメンバーの声などを少し挟みながら、『ペット・サウンズ』の一曲一曲を細かく音楽的に分析した本、って感じ。だから、筆者の『ペット・サウンズ』に対する愛情の深さはよく伝わる。


村上春樹の小説で言えば、『ノルウェイの森』の下巻で、一緒のところでバイトをしている美大生の家に「僕」がお邪魔した時、クラシック好きなその美大生が「僕」にレコードを聴かせながら、「ほら、ここのところが良いんだよね」と曲を解説していた場面が思い出される。楽典的知識をある程度踏まえたその人独自の趣味基準から、「音楽」を「音楽」として自立させて語るというのが、村上春樹の好きな「音楽」の語り口なんだよね、きっと。そしてこれは、エッセイ度の強いクラシックの批評に多い語り口であると言っても良いと思う。


カルフォルニアの陽光の裏側に潜む、深さの底知れない陰惨さ。ビーチ・ボーイズをその観点から論じた本というのはいっぱいあるんだろうけれど、ビーチ・ボーイズ関係書籍って、何を選べば良いのか分からないところがあり、山下達郎御大とか萩原健太閣下のように、厳しい批評眼を備えた人が、あの本は本当に素晴らしいけどこの本は書いた奴はおろか読む奴すら許せん、みたいなことを言っている気がしてならず(←すいません。完全にこれワタシの妄想だと思うのですが)、思いのほか敷居が高い。この敷居の高さというのも、なんだかクラシックっぽいよなあ。クラシックとしてのビーチ・ボーイズ。まあ、『ペット・サウンズ』って、いろいろな意味で現在のクラシックみたいなところがあるからね。


ペット・サウンズ (新潮クレスト・ブックス)

ペット・サウンズ (新潮クレスト・ブックス)