原武史『滝山コミューン1974』(講談社)


・面白かったです。


・「全共闘」世代に属する若者が大学を卒業し、小学校の教員となった。そこでその教員が構築した集団主義的教育システムの、とてつもない歪みと、そこに巻き込まれた子供たちが内面化した、紅衛兵さながらの「政治」意識が、みごとに炙り出されている。「1968年」の遺産の、グロテスクな側面に光を当てたかたちになっている、ともいえるだろう。その意味では、今日的な「政治」についての思考が力を持ち得た発端は「1968年」にあるという、最近のスガ秀実が展開している主張と接合しながら楽しめる一冊である。


・当時、全国生活指導研究協議会(全生研)が展開した「集団主義教育」についての教育言説がいくつも引用されているんだけど、これがホント、目も眩む感じだ。最悪の全体主義的思考というものは、上から押し付けられると限られるわけではなく、末端の部分で醸成されるものなのだなあ、と改めて考えさせられた。


・僕が小学校に入学したのは1980年で、1974年に小学校を卒業したこの本の著者とは世代がズレるわけなんだが、ただ、つらつら思い返してみるに、この本で述べられているような「政治」は、縮小再生産的なかたちで自分も確実に巻き込まれていたような気がする。当時全生研が主張していた集団主義イデオロギーはいまだ総括されていいないとのことなので、この可能性は高いと言えよう。


・自分のことなのに随分と第三者的な物言いをしてしまったけど、いやさ。小学校の頃のグロテスクな集団主義の記憶って、無意識の奥の方に抑圧しちゃっているんだよね、おそらく。だから、この本を読むことは、多くの人にとって、多かれ少なかれ、小学校の頃のイヤーな記憶を抉り出す作業ともなるだろう。結構これが、キツかった。


・惜しまれるのは、この本で述べられている集団主義的コミューンにおける、教員と生徒以外の当事者であるはずの、親についての言及が明らかに欠けている点。それから、鉄道が大好きな原武史ゆえに仕方ないかもだけど、鉄道に関する記述が、ちょっと余計だと思える点。黒い装丁は、なんつうか、意図は分かるが、間章とか般谷雄高じゃないんだからと、ちょっと苦笑でした。


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