菊地成孔『コンセール・デギュシタシオン・ア・ジャズ』


・『デギュシタシオン・ア・ジャズ』のレコ発ライブ。短い曲を何十曲も並べ、編集作業を厭わないという方法論のもと、『デギュシタシオン〜』というアルバムは製作された。菊地本人がどこかで言っていたように、これは、「演奏を編集でいじることなく、そのままレコードにする」ことを自明の前提とした「ジャズ」のドグマに対して、脱構築を狙ったものだった。「演奏を編集でいじることなく、そのままレコードにする」。それはライブ性の尊重と言い換えられるわけだが、その意味で、『デギュシタシオン・ア・ジャズ』は、「ライブであること」を自明の善とするジャズ・イデオロギーへの異議申し立て、ということになるはずであり、だとすると、『コンセール・デギュシタシオン・ア・ジャズ』というライブは、「ライブ」への抵抗をライブで行う、という極めて倒錯的なイベントになる・・・はずなのだが。


・菊地日記をそんな熱心に読み込んでいるわけではないが、言葉の過剰さが代名詞である菊地にしては、今回のライブがおのずと孕むそうした「倒錯性」について、あまり突っ込んだ考えはなかったと思われる。「ジャズ」という芸術ジャンルにおける自明性をジャズにおいて問い直す、という「現代(芸術)」的なプロブレマティック(袋小路?)にあえて突っ込んで行こうという選択肢を選ぶことは、菊地にとって出来ない話ではないのだろう(っつーか、そういうの大好きなんだろうけど)。とはいえ、そうした小難しい展開にしたいのであれば、「新宿ピット・イン」とか、もしくはいっそのこと、「お芸術」的なスペースでライブを打ったはずであって、だがここは他でもない。ブルーノートなのである。レコ発、という場にあるべき祝祭性を第一に考えた場所設定なのだ。理屈はいらない。祝祭の快楽をどこまで追求できるか、ということなのだろう。


・それを、「自ら打ち立てた問題意識からの逃避」だと批判するのは野暮の骨頂である。だってブルー・ノートなんだもん。UAとカヒミ・カリィが出るんだもん。祝祭性を十分に獲得できたライブだった。楽しめました。いや、祝祭性はUAとカヒミ・カリィの二人の出演が決定した段階で約束された、というべきか。UAセクシー過ぎ。カヒミ可愛過ぎ。ナルタンは、ちょっと指が回ってない感じがしましたが、フリーなのにメロディアスな、いつもの菊地節をじっくり堪能できました。この人は、やっぱりサックスが一番似合うと思う。ややPAに難を感じないわけではなかったが(ダブ処理を施した、という点を差し引いても生音の強度がないというか・・・、これも狙いなのか?)。以下は個人的なメモ。


・観たステージはセカンド。二時間並んで整理番号二番をゲット。ステージ真正面のソファー席を確保しましたです。


・にもかかわらず、約束していた女友達が急遽ドタキャン(泣)。別の女友達を急遽探し出し、全部おごったる!と何とか誘い出す。


・というわけで、普段はワリカン女友達に対してお姫様待遇ですた。結構喜んでもらった。料理もワインもがんがん頼んだしね。肉ウマイ。ブルーノートってこれほど料理旨かったっけ?レヴェル上がったか?


朝鮮語ナレーションの韓東賢。なかなかカワイイ。モデルさん?とか思って調べたら、あら意外。この間の『現代思想』の教育特集で原稿を書いていた人じゃん。しかも、吉見俊哉などのカルスタ系の本なんかで結構色々書いている人みたいだ。あ、青土社繋がりか。ブンセン教授もいるし、そのうち菊地関係者だけで『ユリイカ』か『現代思想』が一冊出せそうだね。


・UA衣装セクシー過ぎ。背中、ほとんどヌードじゃん。カヒミって意外と小柄なのね。


・女友達的には南博が一番お気に入りのようでした。やっぱセクシーだもんね。菊地への評価は「何かを間違っている」とのことでした(笑)。いや、「勃起」の連発に爆笑していたし、ライブもとっても満喫してたけどね。


・ベストは何だったかな。やっぱUA絡みかな。しょっぱなの「虹の彼方に」と「マネー・ジャングル〜」っすかね。


・ライブの後、その女友達とベッドに・・・、っていう、菊地日記にコピペされるファンメールのような展開にはならず(そういう狙いは一切なかったし・笑)、明日の仕事のためにタクって渋谷まで出て帰りました。でもまあ結論として、お互い久しぶりにデートらしいデートをしたね、って感じで。