85年高知グリーンホールの続き。


・このライブは、カヴァー・ナンバーが非常に多い。アンコールを含め、演奏された18曲のうち7曲を占めている。特徴的なのは、「Little Red Rooster」、「Under My Thumb」、「Route 66」など、初期ルースターズが好んで演奏していたような、黒さが濃厚なR&Bのカヴァーが多いことである。


・カヴァーされているのはそうした曲ばかりではなく、例えばヴェルベットの「宿命の女」のような、この時期のルースターズが好んで取り上げていた曲も演奏されており、そこはさすがにバンド・コンセプトと合致していて違和感がない。しかし、R&Bカヴァーは異物感が際立った、観る者の居心地を悪くさせるというか、妙な気まずさを残す仕上がりとなっている。


渋谷陽一によれば、ロックのロック性を支えるものは、黒人音楽に同一化しようとしても同一化しきれないある種の「ぎこちなさ」にある、という。黒人音楽との間に宿命的に挟みこまれる隔たりに、ロック独自の「批評性」が担保される、というわけだが、その価値基準からすれば、ここまで異形の「批評性」を持ったR&Bのカヴァーというのも珍しいのではないか。


・初期ルースターズのR&Bのカヴァーを支えていたのは、池畑と井上のリズム隊による、強靭なビート感覚であり、それによって初期ルースターズ独特の躍動感が生まれていた。だがその二人はルースターズを離れ、この時期のリズム隊は昨日も述べたような、高校軽音サークル並の技術しか持ち合わせていない灘友と柞山である。


・だが、その二人の不安定なリズムによって演奏されるR&Bのカヴァーは、決して悪くないのである。例えば、「Little Red Rooster」。スライド奏法のリフによってブルージーな倦怠感が生まれる、というのが本来のあるべき姿なのだが、この演奏では、リフが花田裕之と下山淳のギターによってだけではなく、安藤のキーボードによっても奏でられている。ギターだけで奏でられるならば、「ブルース」というジャンルの枠組みにきっちりと収まるところなのだ。しかし、音程の揺れがないことで、「ブルース」を著しく欠いたキーボードのリフ(これは安藤の技術の問題ではなく、楽器の特質によることなのは言うまでもない)が「異物」として機能して、観る者の「ブルース」という「ジャンル」に対する信憑は、揺るがずにはいられない。そうした形で表現的な強度を有したパフォーマンスとなっているのである。



・ブルージーな曲と演奏に「あえて」ブルージーさを欠いた異物を導入すること。そして、それによって表現の強度を確保すること。崩壊しかねないほどのアイデンティティの揺らぎが観る者の目を惹きつけてやまないという、この時期のルースターズの魅力は、単に大江の存在だけによるのではなく、バンドの音楽的な方法論によっても裏打ちされていた、ということが言えるのではないか。


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