高知グリーンホール


ルースターズのCD27枚+DVD6枚の脅威のボックスセット、「VIRUS SECURITY」のレヴューを細かくやっていく。一枚一枚、きっちりと論じていく。そう決めた。このバンドとリアルタイムで接したのは解散直前のことだったけど、それでも個人史的には重要なバンドであるからだ。49,800円したのだ。そのくらいはしなくちゃ。


・DVD四枚目の1985年2月14日の高知グリーンホールでのライブからレヴューしよう。これは今回のボックスの目玉映像の一つであると思う。


・ボックス付録の資料によれば、大江慎也の脱退(長期休養)はその一ヵ月後、3月26日のライブ(筑波29bar)の後だから、「シャレにならない」(大江脱退直前のライブをナマで観た福田和也の言葉)大江の様子が、カメラ一台の粗い映像だとはいえ、極めてリアルに、そして生々しく映し出されている。


・当時のバンドの状況を無視して言えば、メンバーのコンディションや演奏レヴェルは、はっきりいって話にならない。大江は(当然?)声がちっとも出ていないし、ベースの演奏はせいぜい高校の軽音レヴェルだ(と言うか、そもそもこの時期ベースを弾いていた柞山は、予備校生だったという話を聞いたことがあるが・・・)。灘友のドラムは相変わらずどたどたと落ち着かないだけで、ちっとも安定していない。


・だが、ライブを総体として観ると、実に感動的なライブなのである。もちろん、後に中心的メンバーとなる花田や下山の頑張りがある、というのは間違いない。だが、むしろ、このライブ映像が音楽として観る者の魂を揺さぶるのは、ルースターズというバンドが、フロントの脱退や度重なるメンバー・チェンジにも関わらず、長期的に存続した原因と深く関わっているように思う。どういうことか。


・R&Bをバックボーンとしたロック・バンドから、ニュー・ウェーヴ色の濃いバンドに、そしてポップなギター・バンドを経て、最終的にはサイケデリックな轟音ギター・バンドへとルースターズは転身し続けた。それが可能だったのは、バンドとしてこういう音を鳴らしたいというコンセプトを、はっきりとした形で持ち合わせていなかったからだ、ということになるだろう。


・彼らには、はじめにバンドとしてのコンセプトやエゴがあるわけではないのだ。では何があるのか。おそらく、ルースターズにはじめにあるのはコンセプトではなく、メンバーだったと思うのだ。すなわち、そのときの「ルースター」の素質/技術力から逆算して、ふさわしいサウンドやスタイルを選んでいく、そうした活動形態をルースターズは続けてきた、ということだ。それはバンドの状況から強いられたものだったのかもしれない。だが、そうであったからこそ、度重なる危機を超えて長くバンド活動を続けてこれたのだろうし、また解散におけるメンバーのふるまいも、あれほどまでに思い入れや情緒を欠いた、散文的なものであった。そういうことになるのではないか(ファンの反応」はちっとも散文的ではなかったが)。


・バンドの状況が仮に最悪であったとしても、そこでバンドが鳴らすべき音が何かだけはきっちりと定めることができる。ルースターズは、自分たちの限界を見定めた上で、バンドを最大に活かす音を選びとるクールな知性を持ちあわせたバンドだったと言える。そしてそうした知性が最大限に発揮されたことによって、このライブが質の高いものとなったのではないか。そんな風に思えた。


・誤解を招かぬよう言い添えれば、この知性は計算されたものではない。バンドが「ルースターズ」と名付けられたときに、バンドの生理として、おのずと身に纏ったものであると私は思う。バンドのコンセプトやエゴをルースターズは持たなかった、と先に書いたが、この知性だけはおそらく、ルースターズが結成当初から解散まで、一貫して持ち続けたものなのではないか。


・ライブの細かい部分の言及も含め、細かく傍証するのは明日以降。「PHY」はこのライブのツアーが(おそらく)「PHY」のレコ発だと思われるので。


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