ブルース・スプリングスティーンと日本。


■邦楽における洋楽の受容、という問題を考えた時に、スプリングスティーンという存在の大きさは避けて通ることができない。いやマジで。パクリと言うしかないそのまんまの流入振りと、ヤンキー&ファンシー化というフィルターを通じた流入振りという、本質的には対極にあるはずの受容形態―共に日本の西洋文化受容のステロタイプな形態であることは言うまでもない―が、みごとなまでに一体化して日本の音楽文化に根付いたのだから。


■誰のことを言っているのかって?この二人のことですよ。



■いやあ。両方とも超名曲だと思うよ、マジで。マイ世界の構築のされ方の隙のなさっぷりが、ホント素晴らしい。「本気」という観念が実体として結晶化している「キャプテン・オブ・ザ・シップ」。「J−BOY」だって、歌詞が「日本のロック」を過不足なく体現している。そうなんだよ。日本人はコレが一番良いんだよ。外国から帰ってきたらお茶漬食っちゃうように、はたまた鮭が生まれた川に帰っていくように、日本人はいつか長渕剛浜田省吾に行き着くんだって。無理して洋楽聴くことはないよ。な、みんなもっと自分に素直になろうぜ。オレは嫌だけど。


■この二人の共通点はもう一つ。松本人志が大好きなんだよな。