懐かしの90年代(8)

■高校時代にロキノンのドグマにヤラれちゃったオイラにとって、聞くべき音楽かどうかを決めるのは、ロキノン(もしくはジャパン)に載っているかどうか、ロキノン(もしくはジャパン)で肯定されているかどうか、っていうところがポイントだった。ちなみに、どのくらいロキノンにヤラれちゃっていたかというと、


①オイラ、トーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』をいまだに一度も聞いていない(渋谷陽一が否定していたから)。
②『ミュージックマガジン』はダメな雑誌と思い込んでいた(じゃがたらストーン・ローゼズをめぐって、渋谷陽一増井修が『マガジン』と論争していたから)。
小林信彦はダメな作家だと全然読まずに思い込んでいた(松村雄策との論争で)。


■他にも色々あったけど、まあ若さゆえの世界の狭さってやつですな。だとすると、つまりはオイラにとってのロキノンの季節というのは、オイラの成長過程において、青春時代のディ−プ政治体験的な意味を持っているのだろう。増井の「図書館ロック講座」に土曜の午後に高校の制服着ながら通っていたのは、左系の政治集会に制服着て行っちゃったようなもんだよな(「いやあ、若いのにエライなあ」って、別に誰も褒めちゃくれなかったが)。また、「ロキノンってダメな雑誌だよね」、って平気で口にするようになったのは(しかも定期購読している雑誌は今はマガジンだし、小林信彦なんか大好きな作家の一人になっちゃった)、左翼から右へ急展開したオヤジが、左翼の悪口ガンガン言うのとかなりな度合いでアナロジーなわけですよ。恥ずかしい。


■当時『ジャパン』の編集部には市川哲史がいたわけだが、彼が編集の前面に出るようになると、今で言うところのビジュアル系が相当に取り上げられるようになった。ビジュアル系とはちょっとズレるが、渋谷陽一ZIGGYのアルバムのレヴュー書いていたりもしていて、そういう様子を見ていると、いくらなんでもオイラだって、ちょっとそれは違うんじゃないかと、熱心にサポートしていた薬害エイズ問題に違和感を覚え始める小林よしりんのような気持ちになっていたわけだ。


■で。このV2は私の記憶が正しければ、『ロキノンジャパン』にはじめて小室哲哉が登場するきっかけではなかったか、と。詳しいことは言えないのだが、相当に苦い思いを味わったことであったよ。久しぶりに聞いたが、小室のヴォ−カルは凄まじいし、ヨシキのドラムは、手数が多いが独り善がり、としか言いようがない。まるでオイラの学生時代の女性との付き合いのようではないですか。がははは。