「翳りゆく部屋」

・「気球クラブ、その後」に号泣したのは、物語の力がとても大きい。宙吊りとしての青春を断念した後、主人公とその仲間たちには「成熟」の道が開かれる。だけど、仲間の中でただ一人死んだ「彼」は、その死ゆえに「成熟」に達することはなく、永遠の中吊りが約束される。こういう物語パターンって、オイラ、本当に弱いんだ。十中八九泣いてしまう。ふと思えば、『グレート・ギャツビー』も要するにこのパターンなんだよね。グレマスの機能項分析によればきれいに腑分けできる気がしないでもない物語パターンなのだが、面倒くさいからそのへんはパス。

・話は「気球クラブ、その後」に戻る。だけどあの映画に泣いてしまったのって、荒井由実の「翳りゆく部屋」(映画の中では畠山美由紀が歌っている)の力も大きかった。んで、買いましたよ。「荒井由実ベスト」。出勤途中にi-podで聴きまくったのだが、本当にヤバイ。不意に何度も涙が滲んできてしまいました。

荒井由実松任谷由実)は、恋愛/失恋という経験におけるドロドロした部分をすっかり捨象させて、思い出を思い出として透き通った形で純化させるマジックの巧みな遣い手だ。そして、このテクニックの伝承者の最右翼は、間違いなく槇原敬之である(ちなみに伝承者の中で一番の鬼子であるのが、ピチカート・ファイヴだ)。

松任谷由実槇原敬之。このへん、差別的な意図を一切抜きにして言うけど、このマジックは、ヘテロな人よりゲイの人(二人とも、いや鬼子を含めれれば三人とも、ゲイの人たちに圧倒的な人気を誇っている)の方がグッと来る度数の高いマジックな気がする。

・今述べたことに明確な理由はない。でも、昔からずっと、ぼんやりとそう考えていたのだ。そして、とは言っても、僕のセクシュアリティがゲイだという話でもない(多分)。

・でも、ホモソーシャルの世界の住人とは、ホモセクシュアルな欲望に対して肯定/否定とに引き裂かれたアンビヴァレントな感情を抱いている存在に他ならないとするセジウイックの理論を思い起こせば(何か今日の話、無理矢理文学理論を持ち出している気がしないでもないが)、自分の中に埋もれているのであろう他者的なセクシュアリティが、ユーミンに反応しているのではないかと、そんな気がしてしまうのである(ホントか?)