傷痍軍人さんたちはどこに行ったんだろう?

A級戦犯の霊は安らかに眠っているのだろうか。

巣鴨プリズンの跡地(サンシャイン60)には、夏のこの時期になると人魂がぷかぷかと飛ぶという。池袋を流すタクシーの運転手の間では結構有名な話らしい。

・これ、子供の頃に読んだ「本当にあった怖い話」系の本に載っていたエピソード。つまり、戦犯者たちの霊は靖国によって「英霊」という名のもとで慰められてはおらず、いまだに現世を彷徨っている。ってことになるんだけど、ここから靖国に絡んだ政治話に持っていきたい、というわけではない。

・季節柄、テレビで心霊特集が盛んであるが、「戦争」が絡んだ心霊話って、めっきり減ったような気がしてならない。昔は結構あったよな。海で泳いでいたらいきなり下から足を引っ張られて、見たら水中にもんぺ姿の女の子がうじゃうじゃいた。とか、夏のキャンプで夜中、ガサッ、ガサッという音が聞こえてきて「何だろう」と窓の外を見ると、兵隊さんたちが行進をしていたとかさ。

・戦争を愚かなものとして教え込もうとする「サヨク教育」は間違っている!、みたいな物言いをよく聞くが、しかし僕の内面にインストールされた「戦争って怖いな」「戦争って嫌だな」という思いに、「サヨク教育」は一分たりとも影響を及ぼしていない(だから、巷に溢れている「ウヨク」言説は一人相撲の滑稽さとしか感じられない)。

・じゃあ戦争に対する嫌悪感とか恐怖心とか、そういうのが何を通じて自分の中に構築されたのか、っていうと、上に述べたような戦争と関わる心霊フォークロアの影響が結構大きいように思うのだ。だから、「モンペ」とか「軍服」とかを博物館なんかで見ても、戦火で命を落とした人たちへの悲しみよりも、そくそくと目に見えないものがこちらへ迫り、身の毛がそそり立つような恐怖心がむしろ心を占める。

・僕が子供の頃は戦争の絡んだ霊の登場するフォークロアは結構リアリティがあったというわけで、だとすると今日、そのテのフォークロアが流通していないのは、リアリティを担保する物質的基盤が失われたのが背景にあるからではないか。

・じゃあその物質的基盤って何よ?ということになるのだが、これは間違いなく「傷痍軍人」さんたちだ。

・あの人たち、マジで怖かった。上野とか浅草に、軍服を着たおじいさんの一群がいて、アコーディオンを弾いたりしているんだ。何人かは義足や義手をしていた、と記憶する。その溢れんばかりの負のオーラに子供だったオイラはマジで泣いた。小学校高学年になるまで、上野とか浅草に行けなくなったもんな。

・戦争を語る。みたいなテレビ番組に元軍人という肩書きの人が出ることがあるけど、そこに「傷痍軍人」さんがいることはない。小人プロレスがテレビに出れない現代だ。放送コードに引っ掛かりまくりなのだろう。

・でも、戦争の恐ろしさって、あえてこういう言い方をするけど、そういう「フリークス」的な表象にこそ支えられるものじゃないだろうか。そこにあるのは「サヨク」の奇麗事にも「ウヨク」の勇ましさにも還元され得ない、おぞましさだ。そのおぞましさをどう回復させ、引き受け続けていくか。安易に「右傾化」した今日の言説空間に風穴を開けるのは、ここにしかないんじゃないか。いや。マジな話でね。