古代帝国軍の思い出・2

・昨日「古代帝国軍」について書いていて念のためという感じでググッてみたら、一件もヒットしないですよ。うーむ。菊地成孔と同床異夢ならぬ異床同夢か、いやこれ所謂シンクロシティっすか?! ミイラ取りがミイラにって感じのカルトチックな妄想に囚われしまいました。というのは真っ赤なウソで、「古代帝國軍」と「国」を旧字にすりゃあ、引っ掛かる引っ掛かる。「古代帝國軍」は「富士皇朝」とネームを変えて、ホームページまで作っていたようだが、現在ではNot Foundっす。残念。


・それにしても「富士皇朝」。反応しちゃったね、ガンガンくるね。このネーミング。あの頃の『ムー』の臭いがぷんぷんだ。


・「皇帝世期2878年までにジオランの剣を送り届けるようマハーシュリータに命じられ、ジェノウル世界で剣のありかを探している、ホーリーネーム・ランドルとヴィルドールの二人をご存知の方いませんか? 心当たりのある方は、もしくは自分こそがランドルとヴィルドールだという方、ぜひお手紙を下さい。ちなみに私は既に第一の修行を終えて青銅の剣を持参しています。」


・オウムが活動を始めた頃の『ムー』には、そんな妄想炸裂な「友達募集」がマジでがんがん載っていた。しかしあのテの「友達募集」、その後どんな風に文通が続いたのか、そして今ではその「友達」たちはどんな暮らしをしているのか。マジで気になる。今では良きママになって子供のお受験に精を出したりしているのだろうか?(「友達募集」をかけているほとんどが女性だった)。


・それこそ「心当たりのある方はお手紙下さい」ってな感じだ。いやひょっとして、たまに再会したりして、そんでもって「あの頃楽しかったねえ〜、ランドル〜」みたいに思い出話に華を咲かせていたりして? 外見的にはハンドルで互いを呼び合うオフ会のグループと見分けがつかないから、オレは単に見落としているだけかもしれないぞ?!


・その頃の記憶があるから僕はハンドルで呼び合うのに抵抗を覚えてならないのだが、それはさておき、オマエはなんでその頃の『ムー』を知ってるかって? 父親がその頃、『ムー』を定期購読していたのでありまする(苦笑)。こっそりと父親の『ムー』を熟読して、そのおかげでハルマゲドンの恐怖に囚われた僕は、「1999年の七の月に地球が滅びるのであれば、それは米ソの核戦争に違いない」と確信し、愛國党のビラを熱心に読み(近所にいっぱい張られていた)、「赤旗」の社説を熱心に読み込む(近所の中小の工場に張り出されていた)オカルト政治小学生になっていたのでした(大苦笑)。この父にしてこの子あり。っつーか父親のブレイクダウンはあの頃から前兆があったのね。


・しかしあの、「オウム前夜」の「カルト」の熱気は何だったのか?もう誰も覚えていないかもしれないが、「前世の友達と出会えたから死にます」みたいな遺書を残して集団自殺した(もしくは集団自殺を計った)女子中学生とか女子高生とかが、いっぱいいた覚えがある。ホーリー・ネームがどうちゃらみたいな妄想が、狭義の「カルト」の枠を易々と超えて一定の割合で共有されていたあの時代。その頃の「精神史」の研究は絶対に必要だと思う。そしてその「妄想」が消えたのと入れ替わりで、リストカットの一代ムーブメントが到来したということ。ここにはどんな意味があるのだろうか?「ニューアカ」でも「ひょうきん族」でもない。「カルト」こそが「八十年代」を読み解くための鍵である。(っつー言い方自体がオカルト臭いな。格闘技の話はまた今度)。