ステーキを食べる


「十四オンスだよ。神戸肉の十四オンス」
中華街の“ジャックス・レストラン”に入って来るなり、彼は叫んだ。
                     矢作俊彦『さまよう薔薇のように』


・かつての横浜中華街は、今日のように中華料理ばかりだったわけではなくて、GI向けの店が幾つも軒を並べていたりしたのだそうだ。その意味では、今の中華街と言うのは、「ラーメン博物館」とか「カレー・ミュージアム」などのようなテーマ・パークと、択ぶところがない場所に堕してしまった、ということになるのかもしれない。確かに、同じ横浜で言えば、ニュー・グランド・ホテルの本館が残しているような、進駐軍が日本に残した文化的なアウラ、もう少し分かりやすく言えば、「昭和」的な「バタ臭い」空気というものを、いま中華街の中で探し出すというのは、とても難しいはずである。


矢作俊彦の小説の中で、“ジャックス・レストラン”という名前で出てきたステーキ屋は今日、根岸の間門に店を構えており、「ステーキハウス・ジャックス」という名前になっている。もともとそういう名前だったのかもしれない。その辺の事情については詳しく知らない。僕が知っているのは、バブルの折に、ビルの改築かなんかでその店は中華街を出ざるを得なかったのだということ、また、石原慎太郎裕次郎の兄弟が、この店に好んで通っていた、ということだけだ。


・外観はそこらにいくらでもある、街のスナックのようだった。根岸駅からバスに乗り、間門で降りてこちらかな、と見当をつけながら歩くと、その店はすぐに見つけることが出来た。五時半という、ステーキを食べるにはやや早過ぎる時間であったから、他に客は皆無であったが、ほとんどの席はリザーブされていた。


・シュリンプのカクテルがついたニューヨーク・カット・サーロインを食べようかとも迷ったのだが、三百グラムという分量に少し恐れをなして(ダイエット中だしね)、それより一サイズ下の、特製サーロイン(230グラム・4500円)を注文した。とりあえずビールで喉を潤す。


・あとで分かったことなのだが、焼き方はミディアム・レアが一番のお勧めだったそうで、ミディアムで注文したことは今になってちょっと後悔なのだが、ステーキにはある程度の歯応えがあるべきだという立場に最近の僕は乗っかっているから、あの焼き加減はそれなりに成功だったと思う。


・味付けは塩・胡椒をベースに、ガーリック・バターと醤油。本当に美味しい牛肉は塩・胡椒と醤油だけで食べるべきですよ、と昔近所の肉屋の店主に教えてもらったことがあるが、なるほど確かにと、その店主の言葉をふと思い出す、そういう味だった。


・問題は肉と何の酒を合わせるかだった。ビールという感じではない。ワインのメニューを見るとキャンティーがあったが、一人でボトル一本はいくらなんでも重過ぎる。香ばしい香りと肉の噛み応えを堪能しながら思考を巡らすと、バーボン、というのが思いついた。というわけで、ハーパーを注文したのだが、これが実に合う。福田和也のお勧めの、「とんかつと熱燗」以上の、なかなかにヒットな組み合わせだった。


・「銀河鉄道999」で主人公の鉄郎は、食堂車でしょっちゅう「ビフテキ」を食べていた。あの漫画が連載されていた頃というのは、「ビフテキ」が、アメリカへの憧れをヴィヴィッドに象徴する食べ物となりえた、最後の時期になるのかもしれない。アロハ・シャツを着た石原裕次郎と慎太郎が、二人でステーキを食べている白黒写真が店内には掲げられていたが、僕の心の中に残っている石原裕次郎のもっとも強烈なイメージというのも、『西部警察』の中で、裕次郎が小さな女の子に、「旨いものを食べさせてやろう」と言って、ぶ厚いステーキをキッチンで焼いてあげている場面であったりする。それはたぶん、僕が「999」を夢中で読んでいたのとほぼ同じ頃にオン・エアされたはずである。僕が「ビフテキ」という未知の食べ物に憧れを募らせていったのは、言うまでもない。


・あれは自分の何度目かの誕生日の日だったと思う。「ビフテキ」がとうとう、家の食卓に並んだのだった。「あんた、ビフテキ食べたいって言っていたから。」母親は満足げに僕の顔を見ながら言った。でも、皿に盛り付けられた「ビフテキ」を目にして、そして、使い慣れないナイフとフォークを使いながら口にするとなおさら、僕はどうにも腑に落ちない気分になったのである。これが、『999』や『西部警察』で見た、「ビフテキ」であるというのは、どうにも納得がいかなかった。その「ビフテキ」は、見た目もぴらぴらと薄くて、デミグラス・ソースがどばっと掛かっている。「これはほんとにビフテキ?」僕は恨めしさと悲しさが入り混じった気持ちで、母親に何度もそう質問した。


・すなわち、僕の中で、「ビフテキ」というのは、強い憧れから、観念ばかりが化け物みたいに肥大化してしまっていたのだ。憧ればかりが強くなったことで、いざ実際にそれを味わったら、なんだ、たいしたことないじゃないか、という落胆を強く味わった、という点からすると、僕の個人史の中では、セックスとビフテキと言うのはぴったりと重なる。いや本当はこんなはずじゃないと、気がつくとさらなる上を夢中で目指してしまってる、という点においても。


・だが、生まれて初めて食べる「ビフテキ」がここだったら、そういうオブセッションに憑かれることにはならなかっただろう。食べ終わって一息つくと、僕はそう感じたのだった。それは、「ジャックス」という店が、ワインはキャンティーしかなかったり、メニューの英訳がちょっとあやしげな英語であったり、そこで給されるステーキがヘルシー志向とは程遠い、圧倒的な肉感を誇るものだったりすること、すなわち、どこかに「昭和」の匂いを感じさせる店だったということと、深く関わっている気もする。


・ともあれ、「ジャックス」で味わったステーキはステーキなどと呼ばれるべきではなく、「ビフテキ」という名で呼ばれて、その名のもとで給されるべきものである。これこそが、ぼくがかつて、強く憧れていたあの「ビフテキ」ではないか。三十を越した今になってようやく邂逅を果たしたわけだ。


・欲しいものが手に入るなんてことは絶対にない。欲しいものとは、つねに、すでに失われてしまっているものの別名だ。もしくは、欲しいものが手に入るのは、早過ぎるか遅過ぎるかのどちらかである。僕がジャックスで味わったものは、肉の味ばかりではなくて、そうした人間の欲望における真理までをも含んでいた・・・これは単なる妄想だろうか? でも、何についてであれ、個人史に根深く関わった記憶と、現在進行形の思いとが複雑に入り混じった心理状態について、ただの妄想だと断ずる権利は誰が持っているというのだろう?