『童貞。をプロデュース』を観て来たよ。

・早めに池袋に着いたんで劇場近くのエクセルシオールでマタリ。周りが同伴出勤のキャバ嬢&男子ばかりなのには笑った。


・「童貞」の自意識過剰っぷりが全開な映画だったら嫌だなあ、って思っていたら、いや、実に爽快に笑える青春映画になっておりました。風通しが良いんだよね。


・もちろん、「童貞」男性の自意識の問題も描かれていた。さらに当然、そこに「女子」との関係性も加えられていた。でもそれだけじゃあ、この映画はここまで風通しが良くなっていなかったはずである。そこにさらに、「童貞」と年長者との男性との関係が描かれていたことが、この映画の最大の肝なんだと思った。


・一人は「童貞一号」と絡むカンパニー松尾。もう一人、「童貞二号」と絡む男性は予告編に出ていないので、ここでは名前を明かさない。「女子」との関係性の深まりと言うよりも、そうした年長者のカッコ良い男性との関係の中で、「童貞」が自意識の殻を破っていくという、そういう話になっているんだよね。「非モテ」とか何とか言っている人たちに必要なのは、女子との関係構築のスキル・アップじゃなくって、カッコ良い男性との関係なんじゃないか。そう感じたわけですよ。


ホモソーシャル?そうとも言えるかもしれない。でも、そういう風な批評用語によって杓子定規に裁断するんじゃなくって、「ソープ行くかあ?」的ではない年長者男性との関係構築のあり方を、「童貞」のために用意する、そうした余地があっても良いんじゃないか、と(カンパニー松尾によって「童貞一号」はAVに出させられるが、この映画の中でカンパニーが果たす役割の重要さは、そこではない)。実際に「童貞」が「童貞」であるがゆえに困っているんであれば、なおさらである。


・だって女性だって、コミュニケーション能力のない「童貞」にねちねち言い寄られるよりは(もちろん全ての童貞がそうだってわけじゃあない)、スカっとしたコミュニケーションを取られた方が、圧倒的に心地よいはずじゃないですか。もちろん、その「童貞」と関係を深めるにせよ深めないにせよ。


・いやホント、カンパニー松尾がカッコ良かった。ああ、こういうオーラ(色気)の持てる男性って良いよなあ、っていう感じ。格差社会との関係でこの作品を語っていた森達也は、間違っていなかったんだな、とも思った。「こじつけじゃん?」みたいなことを以前書いたのでちょっと反省。