読了本

田中貴子『性愛の日本中世』(ちくま学芸文庫
内田樹『他者と死者―ラカンによるレヴィナス』(海鳥社
内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)


・短くコメント


・『性愛と日本中世』は発表媒体を異にする(『別冊宝島』から『岩波講座』まで。この幅は凄いな)テキストを集めた論文集であるのを差し引いても、ややまとまりに欠く一冊であったか。冒頭のお稚児の話が、なかなか楽しかった。図像分析されても、文庫サイズじゃ細かいところまで確認できないのも難。


・『他者と死者―ラカンによるレヴィナス』について。レヴィナスの言っていることって、具体的なイメージを伴って理解できないなあ。というのがとりあえずの感想。



・「ラカンは分からん」という下らないジョークがあるが、実際のところはそうでもなく、世界観として認識しようとすると、ラカンの理論というのは実にイメージしやすいと思うのだ。それに比して、レヴィナスの哲学というのは、そういう「世界観としてだいたいにおいて把握する」という理解の仕方を拒む類のものなのかもしれない。そんなことを考えたわけである。


・つまり、ラカンの場合、その理論を応用して、何それは去勢されているだの去勢されていないだのと、インチキ臭い御託を並べることは結構簡単なのだが(それが正しいことなのかは、ともかくね)、レヴィナスではそういうことは難しいのではないか。ラカンの理論における、そうした「世界観として用いることで様々なフィールドで応用できる」という融通のききかたが、レヴィナスに求めるのがお門違いだとすると、この本を羊頭狗肉に感じたのは、単に始めからないものを求めてしまった、こちらの見込み違いなのかもしれません。