で、読んだ本

加治将一アントニオ猪木の謎』(新潮社)

新潮45』の連載第一回でちょこっと読んで、まあ単行本に纏まったら読んでみようかなとぼんやりと考えていたんだけど、うん。これは面白かった。


この本で説明として用いられている図式、「内なる猪木」と「外なる猪木」っていうのは単純といえば単純な図式だ。あらゆる人間がそういう分裂を抱えているっていう言い方も出来るわけだし。でもここまで分り易くそうした自己分裂が見て取れる人、そしてその「分裂」という言葉でしかその人物を説明できない人は稀有なんじゃないだろうか。そんなことを考えさせられた。


あと、猪木の言っていることには「主語がない」っていう件は、菊地成孔の次の指摘を思い出した。あの伝説の橋本ー小川戦に際しての猪木のコメントに対する菊地氏のコメント。

 

インタビューは一番長く、もう長島化していて、もったいつけて意味不明ないことを、悟った禅僧のごとき口調でとうとうと話す(口調が面白くて、つい聞いてしまうけど、すごくインチキくさい)あと特徴は「殺しあいはいけない」「けど、殺しあう覚悟は必要だ」とか「勝ち負けを越えたメッセージが重要だ」「けど、やっぱり勝つつもりでやらなければいけない」という風に、二律背反を延々と繰り返し、結局発言定点が消えてしまうところ(苦笑)これは腹黒い政治家というより、自己像の不安定なキチガイなのだと思う。


菊地成孔「ひとりマニュ穴」(http://www.manuera.com/manuana/)十六回より。これは秀逸なコメントだろうし、加治氏の「主語がない」という評言を、別の角度から言ったものとして考えられるだろう。「主語がない」とか「発言定点が消えてしまう」とか評される人の評伝って、考えてみれば凄いな。


菊地氏の「ひとりマニュ穴」は菊地氏のテキストの中でも最も優れたものだと思うけど、「スペインの宇宙食」には入れてなかった。ぜひ別の著書で纏めて欲しい(ニュース性の高いテキストだから今さらかもだけど)。


あとちょっとびっくりしたのが、猪木の娘、寛子がいつのまにやら婿を迎えていて(いつのまにやらって、別に猪木家の内情を丹念にフォローしてるわけではないんだけどさ。年頃になりゃあそりゃあ猪木の娘だって結婚の一つや二つはするだろうが)、その婿の名前は「サイモン猪木」(笑)というらしい。サイモン・・・?猪木家のムコ殿は外人か、それとも日系人なのか? 今一番ナマで見てみたい人物である。寛子とサイモンは新日のロサンゼルス道場を仕切っているっていうのは初めて知った。


寛子って確か俺と同い年位なんだよな。昔ミュージカルの「アニー」のヒロインをやっていたが・・・。久し振りに見てみたいような気もするけど、見たくはないような・・・。


『殺人マニア宣言』も読み終えたけど、こちらの感想はまたいずれ機会があったら。