エロ本の効用


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040816-00000019-san-soci



・ もう呆れてモノも言えませんな。なんなんだろう文部科学省



・ 中学高校生男子はエロ本はがんがん買うべきだと思いますよ、ホント。だって、そういう「汚い」メディアに積極的に触れて、この情報はどういう質のものか、というのを自分なりに腑分けできるようになるっていうのが、いわゆる「メディア・リテラシー」なんだと思うし、そうした試行錯誤の中で自らのセクシュアリティを認識させる訓練をきっちりとさせておかないと、大人になったときに突然情報の波に塗れることになるわけでしょ?そっちの方が怖いんじゃないかなあ・・・・・・・。  



・ 紙メディアは、受け手がそのメディアを相対化できる許容度が高いと思うから、こういうゾーニングを仮にするのであれば、むしろネットについてきっちりとやるべきだと思う。本なんかよりネットの方が、受け手のメディアへの没入度がずっとずっと高いというのは、経験的にも明らかでしょう。



・ つまりさ、エロサイトを何度も見たことある人は分ると思う(笑)けど、エロ雑誌の「ハメ撮り」なんかより、ネット上の「ハメ撮り画像」って、「これって本当じゃないの?」(え〜、ナンパした子と即ハメ〜!)って思わせる力が、圧倒的に強いわけですよ*1。これはネットにおける情報享受の特質の、つまり、「ネットはそこでの情報を文字通り受け取ることを受け手に強いるメディアだ」ということの、一つの端的なあらわれだと思う*2



・ それなのに、現在のネットのエロ情報に関するゾーニングって、全然意味をなしていないじゃない?「あなたは十八歳以上ですか?」って、猿でも簡単に「YES」をクリックできるよ(笑)。



・ ちなみに個人的な立場としてここまでエロ本を擁護する気になるのは、自分が中高生の頃にエロ本に随分とお世話になったから、というのがとても大きい。「オナペット」(この単語、たぶん十年以上振りに使った・笑)とか「オカズ」とかそういう意味でも「お世話」になったのはもちろんなんだけど(笑)、それに併せて、僕にとって『投稿写真』とか『熱烈投稿』とかっていうエロ雑誌は、僕がオルターナティブな文化(アングラな文化)に関心を持つきっかけを与えてくれた存在だった。



・ 「裸のラリーズ」とか「ボアダムス」とか「非常階段」とか「スターリン」とか「じゃがたら」とか「ニュー・オーダー」とか「イアン・カーティス」とか「ブルー・マンデー」とか・・・・・・、今思い出しただけでも、こういう固有名詞を僕はエロ本から仕入れたと記憶している。マス・メディアから与えられる「文化」とは、およそ異なる「文化」があるというのを学べる場が、僕にとってのエロ本だったのだ*3



・ もちろん、そうした文化的機能を、今日の「エロ本」が有しているかどうかについて僕はよく知らない。でもこういうエロ・メディアのゾーニング化の進行と、福田和也の言う「オタク力の低下」(『作家の値うちの使い方』)と、文化のブロック・バスター化/グローバル・スタンダード化っていうのが、連関しているような気がして、どうにも気分が悪いのである。



・って、これはこれで随分な妄想っぽいけど(笑)。

*1:女子に大人気の福山雅治もネットのエロ画像がんがん観ているらしいから、恥や外聞は気にしないのである・笑。

*2:このネットの特質は、大沢真幸の議論を参照のこと。

*3:昔、大槻ケンジが、家で聴いていたエロ・テープのBGMをすっげーカッコ良いと思って、自分のライブの客出し用にその曲を掛けたら、有頂天のケラに「それ、じゃがたらじゃん」と言われて、「え、これがあの有名なじゃがたら!?」と驚いた、というエピソードがある。そこから大槻は「じゃがたら」の存在を強く意識したのだそうだ。ちなみにその曲は「クニナマシエ」。すっげーいい話・笑。